昭和50年04月29日 朝の御理解



 御神訓 一、「やれ痛やという心でありがたし、今みかげをという心になれよ。」

 なかなか一遍に、こういう心の状態が開けて来るとは思われません。けれどもギリギリそういう心が、自由又は自在に使えれる様になる稽古です。やれ痛やという心で是は痛い事だけは間違いないのです。叩かれたからやれ痛い痛やという心というのは、そういう心で、有難し今みかげをという心になれよと。だから何故有難いという心にならなければならないか。やはり道理の上でも、いわばそれが分からせてもらわなければならない。例えば何の稽古でも同じでです。一生懸命の稽古をさせて頂く。
 苦しい辛いそういう思いをする時に、稽古をしておるその事が、愈々身に付いていっておる時なんだ。もう止めようかと思う程苦しい、けども今こそ自分が稽古をしようと思っておるそのことが身に付いて行っておる時だと。また事実そうです。ですから苦しい事は苦しいけれども、今稽古の甲斐あって、それが自分の身に付いていっておる時であるのですから、矢張りお礼を言われなければおられないと言う事です。理屈は簡単に、それだけです。けども実際問題としてですたい叩かれた時に。
 あっ痛いと言う事は出るけれども、有り難うございますとは中々出らん。しかし理屈は分かっておってです、それが積み重なる体験によってそれを自覚して行く。また同時におかげを受けるという信心の世界に於いてはです。信心が身について行くと言う事ではなくて、そういう心が有り難い方へ有り難い方へと、有り難いおかげを受けて行けると言う事実を、おたがいが体験させて貰わなければならんのです。まぁ私共の信心を一生の事をずっと思うて見ますと、その辺の所が只苦しいから一生懸命お参りをする。
 そしておかげを頂くという信心が、何十年間続いたかと思うです。苦しいから一生懸命お参りしよる。そして矢張りおかげを頂くけれども、そういうおかげはですおかげを頂くだけであって、もう次には苦しい事がまた起きてくる。同じ様な事がそれを私共が北京から引き揚げて帰ってこっち、信心のこれは根本的な所から、頂き直さねばと言う所からです。言うなら信心の本当の所、例えて言うならば此の方の信心は、病気治しやら災難除けの神ではない、心直しの神じゃと仰せられる様なです。
 所謂病気治しやら災難よけのための信心であった。商売どうぞ大繁盛を願うだけの信心であった。困った事が起こって来ると、そこん所をどうとかお繰り合わせを願うだけの信心であった。所がおかげを受けるんです。けれどもそれはおかげを受けただけであって、そのおかげを受けた喜びはあるけれども、痛い事はやっぱり痛いだけであったと言う事です。信心というものが結局心直しの神だと言う事に思いが至った時にです。
 どれ程心に取り組んできたか、どれほど本気で本心の玉を磨くものとか、日々の改まりが第一と教えておられるのに、そこの所の信心がどれ程出来てきたかと出来ていない。只一生懸命お参りはした一生懸命修行もした。けれどもそれはおかげを頂くだけ。そういう信心からはです、やれ痛やという心で今みかげをという心にはなれない。けど愈々おかげを頂くという事より、信心を頂くと言う事になった時です。
 例えば今この様にして、信心を鍛えておって下さるんだな、鍛えて下さるんだなと分かるから、苦しいけれども矢張り有難い。是はもう信心実感として涙が流れる程有難い。そういう信心にならせて頂いたのが、私は何十年振りと言うのですかね。北京から引き揚げて帰って、愈々ギリギリの所に追い詰められて、初めてそう言う事に気付かせて貰った。そこから皆さんがいつも聞いて下さる様な事になって来るんです。食べる資格もない私である事に気付いた。着る資格のない私である事に気付いた。
 だから食べまい着るまいという生き方にならせて頂いた。そして食べささなければおかん、着せなければおかんという、結構なおかげの世界に住む事が出来た。一事が万事にやっぱりそうであった。自分というものがギリギリ分かった。信心の本当の所に気付かせて頂いたというのです。昨日は親教会の春の御大祭。お祭が終りましてから、西原教会の田中先生のお説教でした。お話も大変上手ですが大変中味のあるお話を頂きました。我が心で、生かす事もある。殺す事もある。
 と言う様な御教えを芯にしてお話しなさいました。善導寺の親先生二代荒巻久人先生ですね、この頃亡くなられました先生の信心を芯にして話されました。先生は非常に軟弱生のある信心であった。非常に柔らかであると同時に、大変硬いもの厳しいものを持っておられたというお話しでした。段々あのようにご晩年になられて、目が不自由になられて見えられなくなった。亡くなられたお葬儀の晩、やはり同じ照磨さんと云います、鹿児島の若先生が叔父さんに当たられますから。
 家の叔父さんはあぁして目が見えておられた時代と、目が見えられなくなってからというものの、全然変わっておられたのに驚いたという話しをなさった。大概の者が目が見えんごとなりゃ不平が多なる不足が多うなる。しかもあただメクラですから自分の心を暗くする。自分だけが不幸せなものの様な思い方をする。ひがみが強うなる。普通ではそういう風になるはずだけれども、家の叔父さんだけは、それを全然見なかった、感じなかったという話しを聞かれた時に。田中先生がもうそれこそドキッとしたと。
 昨日は言っておられました久留米の信愛会の御用を、親先生についてずっと傍で御用をさせて頂いて、親先生のある意味においての全てを知っておるかの様に思うておったけれども、本当にそう言う事には気付いていなかったと言う訳なのです。私はその話を聞かせて頂いて変わっておられたと思うです。それは普通でいうたら変わるのが当たり前当たり前というか不平不足を言う風に変わる。私はある時に親教会での何か会議が十人余りであっておりました時にまあ色々な話から私がこんなこんな事を話したんです。
 親先生あなたが段々こうやって目が見えなくなられてから、私は御結界で合間があると目をつぶって俄メクラちゃ、どんなものじゃろうかと思うてこう目をつぶって手探りでいろんな事をしてみるんですよ。じっと目の見えない世界の事をこうやって思うておると、テレビが見えないとか、あれが見えないと言った様な事ではなくて、こりゃひょっとすると親先生私はメクラになったら、今よりもかえって素直らしい有難い心が生れて来るように思うんですがと言う話しましたら。
 いたく親先生も感じられた様でしたし、岸先生がほんなこつじゃんなぁと言うて共鳴しました。私は本当に事実何回もそういう親先生が目が見えられなくなったが、俄メクラちゃ、どげなもんじゃろうかと思うて、ここでメクラで墨をすって見たり、お届け帳にはとても書けまいから聞かせて頂くでも、目をつぶって目の見えない世界を想像してみる。所が私は只真似方の中からだけれども。
 これはもし本当に目が瞑れる様な運命と言うか、そう言う事になったら、私はヒョッとすると目が見えておる時よりも、余程有難い心が頂けるなぁという実感でした。それはね、いうなら神様との交流というか、神様との語らいというかもう雑音が入って来ない。何も見えない。神様と自分の心だけを通わせる事が出来れる世界なのですから、これは有り難いという心は、もっと本当なものになって来るなと思うた。
 事実善導寺の親先生は、非常に心境が澄み切って行かれた様な感じでしたよ、目が見えられなくなってから。だから変わっていないじゃなくて、変わっておられたと言う事が解るでしょうが。普通の者ならもう七十にもなって途端に目が見えなくなったんですから、不平不足が出、愚痴が出不満が出て来る。それが普通ででしょう。けれども昨日照磨先生が言うておられるのは、家の叔父さんは変わっておられるのに、全然同じであったとこう言うておられる。私は変わっておられた。
 むしろその心境は微透しておられた。澄み切って来られた。私もメクラの真似をさせて頂きながら、これは今私がメクラになったら不平所か、不足所かそこに本当の意味においての、神様との交流が出来る世界があって、目に見えない世界心の目が開けてくる世界があるなと。これはメクラになってからと言うて、ツンボになったからと云うてです、返って聞こえない世界とか、又は見えない世界の方が、神様との交流は愈々繁くなるんだと言う様な思いを致しました。
 そういうお話を聞きながら、私は変わっておられたと思うという風に感じたんです。昨日のお話を聞きながら。先生が九つの時に三人の医者が立ち会って、もう駄目だと云われるのを、今の親先生照磨先生のお母さんの信心で、それこそ一心不乱の信心兎に角、もう難しいもう難しいと云われながら、その時分芸者さんの置き屋さんをしておられました。もう夜も夜中もない、ずうっとお参りし続けられた。もう死ぬるもう駄目だと云われる。帰ってみたらまだ息しよる。
 はぁまぁだ生きとったと云うてから御礼に参ったち言う。もう今度帰った時には仕舞えとるかも知れんと思うて帰ってくると、まぁだ息をしておった。まだおかげを頂いとったと云うて、またお参りさせて頂いたと、母からそういう話を聞かせて頂いてそして、愈々あなたのこの氏子がもし、万が一にも助けて頂く様なおかげを頂いたならばです、もう私の子とは思いません。神様が思うようにお使い下さい。
 お道の教師ならお道の教師に、お引き立てお引き取り下さっても良いと云う願いを立てられて、そして奇跡的におかげを頂いた。その時分のお医者さんが、今でもおられるそうですが、あんたは大体この世の者じゃなかったと云われると言う事です。それから段々おかげを頂いて、大学も医大を目指されて、人間と云うものは段々おかげを頂いて、喉をも過ぎるとその時の事を忘れてしもうて、医者になろうと思いよった。又親もそれをするつもりで準備をしたけれども、その準備の一つ一つが崩れてしもうた。
 そして結局は自分自身がお道の教師でも志さなければという問題に直面して、初めてお道の教師と言う事に、九つの時に助けて貰って何十年ぶりに、改めて自分の子供の時に親が神様に誓った事を思い出させて頂いて、本気でお道の教師にお取り立てを頂いたという話をなさっておられる。そしてそこで分からせて頂く事はです。私共の信心が生涯かけてのものでなからなければならないと言う事だというのです。
 おかげを頂いたらお参りしよう。もうおかげ頂かんならんごとあるなら、もう止めようという様な内容が、本当に微塵でもあったら、それは一生懸命の信心とは云えないというのです。よし例えどう言う事があってもです、この神様から外れる様な事はないというものがその印が見えてくる。例えば原さんの昌一郎さんが、あんなに具合が悪い時に、原さん達御夫婦に、私がね一生涯信心を止める様な事は致しませんと言う事を、一つの神様との条件にして願う。
 あんた達がそういう気になったら、神様にお願いしようとという様な。私がこう言う事を云った事はまだ原さん一人です。ここでお取次さして頂きながら。例えばこれは甘木あたりの話を聞きますと、愈々助からん病人はお道の教師にするかと、前以て云われた先生が。だから助けてさえ頂きゃどう言う事に使うて頂いても良いと云う腹がある所から、お取次をされて、だからあそこでは大変な教師が沢山出来たと。そういう病気で助からない様な人達が多かったという話です。
 云うなら昌一郎さんは本当今頃は、金光様の先生にならにゃんとじゃったかもしれん。甘木あたりだったら。けれども神様がねああして毎日日参をさせて、しかも二十五年間親子が続いておられます。御主人がおられる時には御主人も。昌一郎さんが嫁を貰うてからは、昌一郎さん夫婦お母さん一緒に、毎日続いてはぁほんに、あげな約束ば神様にしてから、こらもうと言う様な事はなかろうと思う。今は只々有難いの一念であろうと思う。その有難いの一念がです。
 只おかげを頂くから有難いという一念ではなくて、信心が身に付いて来るから有難いという一念でなからねばならないと言う事なんです。今日は。楽人と云えば、昔から半先生と云われた。半分は信者で半分は先生の資格と神様は言われたと云う事です。ですからやっぱり楽人にでもお取り立てを頂いたと云う事は、そういう意味ではなかろうかとも思いますですね。私はそういう信心を一生続けると言う事も、おかげを頂くから続けるじゃなくて、信心を愈々身に付けて行く力を受けて行く。
 これがお徳であろうかと思われる様な内容になって来て、私は初めてやれ痛やと云う心で有難し、今みかげをと云う心になれよと、言う様な心は生れてくるのだと思うのです。云うならば、本当に信心の稽古をさせて頂いておるからです。ははぁこういうふうにして、神様が鍛えて下さるんだな。腹の立つ問題があったり、情けない思いをする様な事があってもです、それが何とはなしに心が有難い。それが嫌な事であってもです。心の底でそれこそニヤッと笑う事が出来る。
 神様がこんなにして鍛えて下さると言う事が分かる。なるほどわが心でわが身を生かす事もあろう、殺す事もあるという講題の下に、昨日田中先生がお話しになったと云う事がです。わが身を生かす事も殺す事もある。わが心一つなのだそのわが心一つと云うのはです、例え痛い時であっても、やれ痛や今みかげをという心になって、有り難し今みかげを、有り難い。痛いけれども有難いという心が開けて来るのですから、わが身を救い助ける事が出来ます。
 只おかげを頂いた何十年という、私の信心がいよいよ信心の根本的なところに気付かせて頂いて、ようやく信心と云う事にならせて頂いたらです。これは合楽教会椛目を通して二十五年間、いろんな問題があった。それこそ血の涙の出る様な事もあった。けれどもそういう都度都度に合楽は大きくなって行った。そういう都度都度におかげを頂いて来た。何故かと云うと、やれ痛や、今みかげをと云う心になって、その事に対してお礼を云うて来たからなのです。
 只その時のおかげを頂いて、おかげを頂いたと云うだけではいけんのです。それじゃ太りません。また同じ事同じ事を何十年間繰り返し願って来た。だから願うと云う信心からです頂くと云う信心。おかげを頂くと云うのではなくてです。信心を頂くと云う事になる。信心を頂くと云う事は信心の稽古によって、少しずつでも上達して行く。ですから苦しい事があっても、こんなにして鍛えて下さるなぁと思うから痛いけれども、本当に神様お手間をかけて済みません。
 叩かれる手も痛かろう、返って痛うあんなさろうと、返って神様を自分の苦しみよりも神様の方が苦しうあんなさるだろうと思う様な心も湧いてくる、お礼の心も湧いて来る有難いという心も、それはおかげを受けて有難いとは、また別な信心を頂いて有難いという心がです、心の底から湧いて来る。それがやれ痛や今みかげをという心になれよと。だから、なかなか一遍になれるもんじゃない。第一焦点を変えなければなれる事じゃない。信心の焦点と云うものを。
 それには田中先生の言葉を借りると、一生懸命と言う事は一生涯の信心が、そこにかけられると言う事だと。という風に云っておられます。私もそうだと思います。例え踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂と言った様な場合であってもです。サラサラ神様に不平ども言う段の事でもない。この様にして神様が鍛えて下さると云う、痛いけれども有難いと云う心を頂いて行く。御道の信心はそこん所に尽きるように思う。
 只その苦しいところから逃れたい。と言う事じゃなくてその苦しい事の中から、悟らせて貰う分からせて貰う。そこに初めて悟りの喜びというのがあるのです。有り難し今みかげをという心は、これは立派な悟りの心です。その悟りの心という様なものが、只おかげ目当てに開ける筈がありません。信心をいよいよ目当てにしなければ、悟りは開けません。悟りの世界。信心は悟りだと言うておる人もあります。だから本当に信心を目指さなければ悟りは開けません。
 悟りが開けると言う事は、そげな筈ではない苦しゅうなければいけない、悲しい涙が出らにゃならん筈だけれども、涙は涙だけれどもそれがありがた涙である。自分ながら不思議なんです。それが、やれ痛や、有難し、今みかげをという心。いうならば、悟りの境地悟りを開いて行く。私はそういう難しいこれは御教えだと思います。けれども私共がおかげを頂くと言う所から、信心を頂くという姿勢になったら、それはさほど難しい事ではない。自ずと身について来る事だと思います。